題名『人生タペストリー』 以前、某サイトに投稿していた作品です。 少しでもお気に召して頂けたら幸いに存じます。 ※アレンジ・アドリブ大歓迎です。 以下、本文。 ♪*¨*•.¸¸⋆*♬:♪*¨*•.¸¸⋆*♬: そういえば最近、“あれ…?”と、思うことがあった。 『好きな人に嫌われたくない』と、思わなくなったな…、と。 多くの人はそう願って、相手の心が自分から離れないよう、心を砕く…。 【一人称】にも、そういう時期が、確かに存在した。 だが、【一人称】はいつの頃からか、全くそう思わなくなった。 一体、なぜだろうか?と考えた結果、一つの仮説が立った。 よく、人と人の関係は、糸に喩(たと)えられる。 しかし、【一人称】の中で、【一人称】とパートナーの関係は、糸ではなく、布になっているのではないか、と。 糸では、どこか一ヶ所でも切れてしまったら、改めて結び直さない限り、その糸は、ずうっと切れたままになってしまう。 だが、布ならば、端から端まで裁断しない限り、引っ掛けたり、切れたりして、穴ができてしまったとしても、その他の部分は元の通り、繋がったままである。 その穴になった部分を、上手じゃなくてもいい、頑張って接(は)いだり、アップリケで隠したりして、修復しながら、これからも付き合っていくんだろうな…、と当然の如く、そう信じられるようになったから、ではないか、と。 他人様(ひとさま)からしたら、理由が酷く漠然としているかもしれないが、単純な『好き』や『嫌い』という感覚では、もう付き合っていないのだろう。 あの人という経糸(たていと)と、【一人称】という緯糸(よこいと)とが出逢ったあの日から、時間という名の織機(おりき)にかけられ、一列一列、杼(ひ)を通され、一段一段、筬(おさ)で整えられ…、今日(こんにち)に至るまで、休むことなく織り上げられてきて…、そして…、これからも…。 決して綺麗な織り目ではないし、両サイドとも、凸凹と波打っている、極めて不格好な代物(しろもの)だ。 もしかしたら、【一人称】の最期の時、切れていない、解(ほつ)れていない場所が、一ヶ所もない、布としての形を保っていられるのが、不思議でならないものになっているかもしれない。 だが、“これこそが、【一人称】の人生が幸せであったという、何よりの証なのだ…”と、【一人称】は笑って言うことだろう…。 『人生タペストリー』 恋人でも友人でも、一握りでいい。 糸じゃない、布の関係を築(きず)ける人と、【二人称】が巡り合えますように。 ♪*¨*•.¸¸⋆*♬:♪*¨*•.¸¸⋆*♬: 本文は以上です。ご覧頂き、誠に有難う御座いました。皆様からのご投稿及びご感想を、心よりお待ち申し上げております。
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