﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌ どうしてあのとき 「塩を揉み込んで」と 掲げてしまったのだろう。 猟を諦めて帰る 腹を空かせた青年たち。 頭髪から足の先まで 全身を整えさせることに 成功した。 彼らは どんな要望(ちゅうもん)も 「気が利く店主だ」などと 好意的に捉え 奥へ奥へと足を進めた。 順序よく丁寧に 手順を踏ませたはずだった。 順調だったのに。 「塩を揉み込んで」 という一言が流れを変えた。 最後の塩だけは届かなかった。 上手くいけば 皮膚も筋も柔らかく香ばしい 献立になったのに。 「お清めの塩」 とでも言えば 疑われなかったか。 それとも 「猟の疲れを癒やすには塩を馴染ませて」 とでも飾ればよかったか。 そうすれば 彼らは最後まで 素直に従ったのだろうか。 それに あの犬たちは なぜ戻ってきたのだ。 見捨てられ泡を吹いて 果てたはずだ。 恩などあるものか。 なのに どうしてあの扉を破った。 どうしてわたしの晩餐を壊した。 ほんとうに悔しい。 しかし 獲物は逃がしてしまったが 今も風の噂で聞く。 あの青年たちの顔は 恐ろしさでくしゃくしゃのままだと。 それを聞いて少し安堵した。 わたしの料理店の理念は まるきり間違いではなかったのだと。 それでも わたしはまだ考えている。 あの青年たちのような 次の獲物を 美しく仕上げる “最後の注意書き”を。 ﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌ ※参考:リスペクト 宮沢賢治「注文の多い料理店」 ﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌﹌
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