題名『隣の異形者』 よみ:となりのいなり 私の『異形』シリーズ第一作目です。 少しでもお気に召して頂けたら幸いに存じます。 以下、本文。 *.。.:*・゚*.:*・゚*.。.:*・゚*.:*・゚ 今回の事は、常にアレ等の影に居る【二人称】には分かり難(づら)いかも知れないね。 【一人称】は、【二人称】よりはアレ等の近くに棲(す)み、幾分(いくぶん)親しいから、アレ等の考えや行動には明るい方だと思うよ。 ただ、アレ等の生態に関して、多少厄介なことといえば、一貫性が無いことだろうか。 時代や土地なんかで習性はがらりと違うし、個性なんて千差万別だからね。 たとえば、Aという事象が起き、次にAと酷似したBという事象が起きた場合、Aで取った行動を取るとは限らない。 つまり、その後、更にAやBと酷似したCという事象が起きた場合、AともBとも異なる行動を取る可能性も考えられるという訳だ。 だが、哀しいかな。 前と同じ轍(てつ)を踏まぬ様に、細心の注意を払い、限られた時間の中で考え抜き、最高だと信じ選んだ答えであっても、思いも寄らぬ不幸な結果を招く事もある。 アレ等は、自らの祖先が犯した罪や罰の歴史を、学び舎と呼ばれる場所で学んではいるが、その殆(ほとん)どは大筋のみで、個個人(ここじん)が何をどう選択して生き延び、または滅びたか等は、学び手の自主性に委任(いにん)している。 それ以外にも理由はあるが、アレ等の持つ知識や教養、行動力や実行力には、非常にばらつきがある。 種(しゅ)としては一つだが、個としては無限だ。 だから【一人称】は、アレ等の事を何百年、何千年と見ていても飽きないのさ。 【二人称】も影にばかり隠れていないで、もう少し表へ出て来て、アレ等の事を観察してみたら良いのに。 まぁ、強要はしないがね。 ただの年長者からの軽い提案だよ。 5分後には忘れられても良いくらいのね。 それじゃ、またね。ごきげんよう。 *.。.:*・゚*.:*・゚*.。.:*・゚*.:*・゚ 本文は以上です。ご覧頂き、誠に有難う御座いました。皆様からのご投稿及びご感想を、心よりお待ち申し上げております。 また、細心の注意を払ってはおりますが、誤字脱字などが有りましたら、是非、台本のコメントにてお知らせ頂ければと存じます。ご協力のほど、どうぞ宜しくお願い致します。 2025/10/21 0:29:脱字修正を行いました。
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