毎朝、8時34分。 同じ車両、同じ席。 誰が決めた訳でもないのに、 だいたい皆、同じ場所へ座る。 僕の前には、いつも同じおじさんがいた。 それが、ある日。 おじさんはいなくなった。 代わりに座っていたのは。 ――見たことのない女性だった。 綺麗な人だった。 いや、綺麗なんて言葉じゃ少し足りない。 ただ本を読んでいるだけなのに、 なぜか目を奪われた。 朝日が横顔に落ちるたび、 現実感が少し薄れるような。 そんな人。 次の日も、彼女はいた。 その次の日も。 変わらず、本を読んでいた。 でも。 気のせいじゃなかったと思う。 時々、目が合った。 いや。 正確には、見られていた。 僕が気づくと、 彼女は何事もなかったように本へ目を落とす。 少しだけ期待した。 こういうのって、何か始まったりするのかなって。 ……まぁ、全然違った。 二週間くらい経った朝だった。 珍しく、彼女が途中の駅で立ち上がった。 そして。 その日は偶然、僕も同じ駅で降りた。 人混みの中、前を歩く彼女。 その時。 彼女が急に振り返った。 一瞬、目が合う。 次の瞬間。 彼女は、まっすぐ僕のほうへ歩いてきた。 「あの……突然すみません」 思わず後ろを見た。 絶対、僕じゃないと思った。 「いつも同じ車両ですよね?」 少し困ったように笑って。 彼女は言った。 「変なお願いなんですけど…」 少しだけ間を空けて。 「――話、聞いてもらえませんか?」 その時はまだ知らなかった。 彼女が。 いつも僕の前に座っていた、 あのおじさんの“不倫相手”だったなんて。
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