アレンジとか一人称とかの変更ありです! ____________________________________ 五年ぶりに海を見た。 理由はない。ただ、気づいたらここに立っていた。 波は相変わらず同じ速さで寄せては返し、空はやけに広くて、少しだけ眩しい。変わらないものばかりが目に入るせいで、変わってしまったものの輪郭が、いやでも浮かび上がってくる。 波際に目を落とすと、そこに二人いる気がした。 砂を蹴って、笑いながら走る影。水をかけ合って、くだらないことで声を上げる二人。遠目だから表情はよく見えないのに、それが誰なのかだけは、はっきり分かってしまう。 あれは、ぼくと、彼女だ。 胸いっぱいに吸い込んだ空気に、懐かしい匂いが混じっていた。潮の匂いと、少し甘い何か。あの夏、彼女の隣に立っていたときと、驚くほどよく似ている。同じ風が、同じ向きから吹いている。そんなはずはないのに、体はすぐに思い出してしまう。 彼女は生き返らない。 海の向こうから戻ってくることもない。 奇跡も、呪いも、ここにはない。 分かっているのに、波際の二人は、何事もなかったみたいに遊び続けている。彼女が振り返る。口が動く。声は聞こえない。ただ、その形が、名前を呼んでいるように見えた。 いや、違う。 呼んでいるのは、彼女じゃない。 ぼくの記憶だ。 あの日も、こんな匂いがしていた。こんな風が吹いていた。何かが終わるなんて、少しも思っていなかった。失う準備なんて、できるはずもなかった。 潜った。 迷いはなかったと思う。 気づいたら、体はもう冷たい水の中にあって、音は遠くなって、世界は歪んでいた。 視界の先に、彼女がいた。 腕を伸ばせば届くと、確信できる距離だった。 あと、ほんの少し。 一歩もいらない。 一、二センチ―― そのくらいだったはずだ。 水が重くて、肺が痛くて、指先の感覚がなくなっていく中で、それでも、伸ばした。確かに伸ばした。なのに、触れなかった。距離は縮まらなかった。時間だけが、容赦なく流れていった。 あの時、違う判断ができた気がしてしまう。 もっと早く。 もっと強く。 もっと、何かを。 そんな「もしも」が、今でも、息をするたびに浮かんでくる。 波が足元に触れ、すぐに引いていく。砂の上に残った足跡が、ゆっくりと消されていく。二人分の跡が、区別もつかなくなって、やがて何もなくなる。 それを、ただ見ている。 追いかけもしないし、引き止めもしない。 幻は、静かに薄れていく。 彼女は、もう、いない。 それでも、この匂いと、この風だけは、まだここにある。 後悔だけを連れて、ぼくは今日も立っている。 それだけで、今日は十分だと思うしかなかった。
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